トライアスロン

弊社では、トライアスロンのチームを全国6か所でサポートしています。

コラム令和3年8月31日

苦しみの先にあるもの、夢の先にあるもの

8月28日パラリンピックのトライアスロン全盲の部のスタート4時間前、日本代表として出場する米岡選手のガイド役の椿 浩平選手(29才)にメールを送りました。『苦しみの先にあるもの、夢の先にあるものを実感して来て下さい』そのわずか5時間後に本当に銅メダルを米岡選手と二人で掴み取りました。ビックリ!椿 浩平君と出会ったのは彼が13才の時、ジュニアのチームを作るためのオーディションに参加してくれました。ジュニアチームは北京オリンピック目前に解散をしましたが、順調に成長した彼は高校3年生でワールドシリーズのトライアスロン横浜大会で世界のトップ選手と競うまで成長しました。スタート前の選手紹介で『椿 浩平選手、高校生です!』とアナウンスされると歓声と拍手が一際大きくなったのを今でもはっきり覚えています。

日本ジュニア選手権4連覇をはじめU23優勝などまさに『日本期待の星』となり、筑波大学卒業後に三井住友海上にトライアスロン選手として入社しました。そしていきなり日本選手権3位となり、優勝の古谷純平選手と共に三井住友海上を実業団トップに押上げるとともに24歳で結婚もし、間もなく奥さんの妊娠もわかりました。しかし幸せの頂点にいる彼を襲ったのは髄芽腫(ズイガシュ)と言う悪性の脳腫瘍でした。摘出後もガン治療の放射線治療を続けて行くうちに、辛くて辛くて主治医に『もう治療を止めて楽になりたい』とまで言ったそうです。

ここで彼を救ったのは彼の赤ちゃんでした。出産に立ち会って、奥さんの頑張りと自分の命を受け継いだ子供を抱いた時に、もう一度『生きる』決意をしたそうです。米岡さんと二人三脚で掴んだ銅メダルにはこう成る『必然』があったのかも知れません。
そして家族以外に私が(ありがたいなぁ)と思うのは発病後も5年間 彼を雇用し続けた三井住友海上さん、パラのガイド役を進言して頂いた川合監督さん。本当にありがとうございました。
二年前の仙台七ヶ浜での椿君との再会と米岡さんのまだ少し自信なさげな『東京2020を目指しています!』が現実となり、さらに2024のパリではパラではなく、オリンピックの個人で正式種目代表として『もう一度パリを目指して全力で頑張ります! 椿 浩平』と力強いメールが届きました。
【百折不撓】(ひゃくせつふとう)パラリンピックのアスリート全員に教えて頂きました。
当社は全国で6カ所のトライアスロンチームを支援しています。 

令和3年8月31日
株式会社 セクダム
代表取締役 竹下年成

パリ五輪を目指すトライアスリート

”同じ夢を追いかけたい”

 トライアスロンのオリンピック日本代表第一号と言えば2代目ミスタートライアスロンこと小原 工 選手(現在54歳)。2005年3月私はニュージーランドで合宿中の八尾 彰一・小原 工・田山 寛豪選手達を急遽訪問することにしました。それは2月末に彼らの実業団チームの会社を退職したため、報告と別れを直接告げるためのものでした。
 その時に彼らの口からでた言葉が「竹下さん、いつかきっと実業団チームを作ってください!」です。次の仕事は決まっていましたが、一会社員にそんな力もアテも有る筈もなく、苦笑いだけしていた様に思います。
2012年12月に独立をする時にそのニュージーランドでの彼らの声を思い出していました。これからの人生は彼らと”同じ夢を追いかけたい”そして世の中に恩返しをすることで自分らしく生きて行きたいと思いました。
 それから6年後、彼らのチームのサポートを僅かずつですが始めました。そして昨年は古山 大 選手、さらにこの4月からは小原 工 氏の長男小原 北斗(22歳)をセクダムに入社させました。

小原 北斗 選手

北斗選手の夢は「父親の跡を追いかけ続けること」「オリンピックに出場すること」。2012年の時、彼は13歳。本人と父親のオリンピック親子出場の夢へとふくらんで入社する事になりました。
新型コロナの影響で会社経営もこれまでのように順風満帆ではなくなりました。ボランティアやCSR活動から撤退する企業が益々増えることは安易に推測がつきます。しかし苦しい時だからこそそのお金の使い道を価値あるものにしていきたいのです。
当社の警備員さんや社員にも”社長のわがまま”を許して頂きたいと願うこの頃です。

セクダムはトライアスロンのチームを
全国で6か所サポートしています。

株式会社セクダムは上野にある警備会社です。

令和3年3月25日
株式会社 セクダム
竹下年成

トライアスロン令和元年6月

トライアスロンで有構無構のおしえ


トライアスロンを長くやっている人で、『八尾彰一』の名前を知らない人は少ない。彼の色んな指導方法は「会社経営そのもの」ではないかと、私は最近になって思う。彼は日本のトライアスロン界で最多のオリンピアンを輩出している。だがそれだけではない、さらに凄いのは彼が育てた選手のほとんどが現役後もトライアスロンを楽しみ、クラブチームをいくつも立ち上げている。会社組織で言えば底辺から積み上げたものが彼には有る。色んなスポーツの世界で「監督が変わったから優勝」「監督が変わったから最下位」などと呟かれることは良くあるが、監督が変わったら力が急降下するのは≪組織≫になっていなかったからではないか?底辺から積み上げた物であれば継承する部下やそれを支える沢山の人の力が存在する。結果をすぐに求めるのでなく、経過を大切にする指導。選手の前に人としての指導、「学びと気づきと成長は経過にある」が彼の持論。会社経営にはこの底辺から積み上げたものが必要である。 何故ならこの先何十年も会社が健全に続いて欲しいからだ。

彼は実に良く人を見る、この人にはこういう指導、この人には別の指導方法と工夫をする。『構えが有って、構えが無い』のも特徴で、以前私がフルマラソンをやっていた頃「竹下さんタバコなんてタイムに全然関係無いですよ!タバコやっても止めても一緒です。」そう言われたが、25年吸ってたのにパタッと止められた。一緒に練習をしていても、ついて行けない私を先に行く選手たち全員が途中で待っていてくれている。誰に対しても同じだと聞いた。個人のスポーツなのに、強くするのは(チームとしての喜びの共有なのだ)と彼は言う。落ちこぼれを置き去りにして行くスポーツ界や会社組織の中でこんな指導方法はあるんだろうかと思った。トライアスロンの楽しさ、仲間との喜びの共有、これを実践してきたからこそ、素晴らしさを継承する部下が何人も育っている事実がある。会社経営もこうありたい。

セクダムではトライアスロンのチームを全国6か所でサポートしています。

令和元年6月1日
株式会社  セ ク ダ ム
代表取締役 竹 下 年 成