そして、神戸

『神戸~泣いてどうなるのか~♪ 捨てられたわが身が惨めになるだけえ~♫』 もうすぐ(来年1月)阪神淡路大震災から25年を迎えます!この曲は震災後の神戸の人たちが復興の為にと望んで、その年のNHK紅白歌合戦でクールファイブ(前川清)さんが歌って瞬間視聴率トップを取りました。震災二日後に当時の警備会社社長に神戸の復興の為に自分が行くことを決め志願しました。翌日部下たちが壮行会を開いてくれてこの歌『そして神戸』

を熱唱しながら、腹をくくった事を思い出します。今はとても大げさに聞こえるかも知れませんが、震度4~5の余震が続きライフラインが断たれたり極めて食糧難の場所に東京から一人で行く訳ですから、身の危険や試練を覚悟しての事でした。


メリケンパーク

私は今日、震災後初めてメリケンパークの震災メモリアルに来ています。当時の岸壁が60Mほど崩れ落ちた状態で海に浸かったまま現在も保存されておりました。(写真)ここには当時海中に転げ落ちた車が数十台も折り重なって沈んでいたのです。暗い街、人が歩かない街、ゆがんだ街がリアルに蘇ってきて、祈りを捧げないと居た堪れなくなっていました。震災はいつ、どこで起きても不思議ではありません。6,000人以上もの死者を出した阪神淡路大震災はその犠牲者の方たちが残された『教訓』を我々は決して無駄にしてはならないと心から思います。私が神戸に残したものは、関東からどんどん送り込んだ警備員さんが治安や復興の為に行った活動の、形に残らない物。 その数350人以上で、阪神高速、大丸デパートの撤去、明治生命ビル・神戸新聞社ビルの解体、西宮や長田団地の補強工事、ポートアイランドの通行止め、阪神石屋川の車庫復旧、JR・阪急・阪神鉄道の振替輸送の人員整理など半年以上に渡る活動でし。自分の人生を振り返る時『♪そしてひとつが終わり、そしてひとつが生まれ~♪夢の続き見せてくれる相手、探すの~よ~♫』 この歌で過去から未来に気持ちを切り替えた神戸の人たちと、明るく賑わいの街にみごとに復興した神戸の街にこれからも鎮魂の気持ちとエールを送り続けたいと思いました。皆さん、地震や水害に備えましょう! 大切な家族の為に、自分と日本の為に!

令和1年12月1日
株式会社 セ ク ダ ム
代表取締役 竹 下 年 成